法泉寺の歴史

歴史

宗祖御遷化          弘長2 (1262)

法泉寺虎石町西側に建立    元和8 (1622)

大火後同町東側御旧跡に引移る 宝永5 (1708)

下総町へ移転         大正14(1925)

強制疎開           昭和20(1945)

左京区下鴨へ移転       昭和32(1957)


法泉寺略縁起

夫当寺は祖師親鸞聖人遷化の旧蹟なり。聖人の御舎弟深有僧都の御里坊として境内は方四町善法院と号し角坊とも称せり。御兄弟親しくましましけるあまり、聖人の御草庵を此所にむすびたまひ傍に井を穿ちたまふに清水涌きいで不思議なるか那奇石を得たり。その形よく虎に似て雌雄の文あざか也。聖人ふかく是を愛したまひけり。木石心なしといへども法徳に感じ御往生のみぎり哀嘯の声を出しければ人々奇異の思ひをなす。これより虎石の名かくれなく、おのづから虎石町となづく。今大谷本廟の虎石これなり。衣掛の松は貞享年中に焼亡して唯庭上乃古井とら石をうつし残せるのみ。覚如上人御誕生の地もこれにて誠に無二の霊場なり。されば聖人の御旧蹟を志たひ参詣の輩はいよいよ仏祖の恩徳をあふぎさいさいに信心の溝をさらへて弥陀の法水を流し報謝の称名退転あるべからずと由緒の因に云云。

                      洛陽柳馬場押小路下る虎石町 法泉寺


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